山本院長率いる川崎グランハートクリニックのスタッフたちが3月上旬ジャガイモ植え付け作業を行います。
そんなジャガイモたちは、ナス属ナス科です。ん?イモという名前が付いているのに、「ナス」?って思いますよね!
歴史を見ると、ナス属ナス科の理由がわかります。
栽培する🥔たちの歴史を振り返る時間です。
まず、ジャガイモの生まれは、南アメリカにあるアンデス山脈です。
そして、15世紀の終わりにスペイン人が持ち帰ったのが始まりでヨーロッパに広がりました。なぜ、スペインなのか。それは、スペインが、15世紀末〜17世紀における南米侵略の過程で、ジャガイモを見つけて船で持って行ったからです。しかし、ヨーロッパでは長い間、花を楽しむだけだったらしいです。理由は、アンデス山脈より日が長くて暖かいので、葉や茎だけが茂り、イモができにくかったからです。やっと、18世紀の半ば頃になり、食べるためのジャガイモができるようになったそうです。
この写真を見ると、「ヨーロッパでは長い間、花を楽しむだけだった」理由がわかります。綺麗ですよね!
花を楽しむ理由が分かります。見惚れてしまいますよね〜
では、我が日本では、どうでしょうか。
1598年に、オランダ人によってジャカルタから長崎に伝わった様子です🥔
そして、この当時、東洋貿易が行われていました。つまり、東洋貿易の拠点だったジャカルタから長崎に伝わったということですね!なぜ、長崎なのか。簡単な答えになってしまいますが、貿易の関係上ですね。「なぜ、長崎なのか」を詳しく知りたい場合、オススメ↓です。
https://www.y-history.net/appendix/wh0904-057.html
その後の江戸時代に何度もあった飢饉のたびに、飢えを凌ぐための作物として広がりました。
この飢えの凌ぎに関しては、日本だけではなかったようです。ドイツでの「カブラの冬」のときも、飢えを凌ぎました。「カブラの冬」とは、は、第一次世界大戦下の1916年〜1917年にかけてのドイツでで発生した飢饉の状態のことです。
食糧危機には、最強の味方ということですね!
今は、ポテトだったりジャガバターだったりポテトサラダなど加工品としても幅広い用途があります。お酒のつまみにもなります。
あーーー🥔レシピと🍺で乾杯したい